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昨年の11月20日
私の父が亡くなりました。
スキルス胃がんでした。

10月下旬に一緒にハワイへ行き、もうその時から具合が悪かったんですが、
帰国後、11月1日に入院。
検査などをして癌がわかり、余命宣告を受け、在宅での介護をするため11月19日に退院、
次の日の昼でした。


110210.jpg


じろは、可愛がってくれた父が亡くなったのをわかったみたいでした。
亡くなった日に会わせてあげたんですが、初めてみるものすべて怖いチキンなのに、一切吠えず、
それどころか近寄って行きたがりました。
お通夜の日に1泊だけじろを預けたのですが、精神的に不安だったらしく、家から持たせたベットに何回か
おしっこをしてました。
でも、ごはんだけはしっかりと食べたそうです(苦笑)

「続きを読む」に闘病?を載せました。
興味があれば読んで見てください。

【傷病】
 胃がん
 癌性腹膜炎
 脊椎転移の疑い

【症状】
 腹水穿刺でclass5
 胃がんのStafe4
 腹部より、腰部の疼痛がひどく、横になって寝ることが出来ない状態。

【闘病??】
10月中旬より食欲不振、ハワイに行く前まではパンなどを少量口にできる状態。
ハワイへ渡航、機内でも水以外口にせず。
結婚式後の食事会で肉を舐める程度。
(あれだけ日本のものがいっぱい売ってるのに、ウィダーは売ってない・・・)
リプトンの紅茶やスポーツドリンクなども試すが、飲むと吐いてしまう。
痛みが強いのにまともな医薬品がなく、腰痛は「椎間板ヘルニア」だろうとロキソニン錠剤とロキソニンテープの処方のみ。
ハワイの病院へ行き、血液や尿の検査後、点滴などの処置を受ける。
詳しい検査のため転院をすすめられたが、帰国が明日に控えていたため拒否。

帰国後かかりつけの病院へ。
検査で胃がんとわかる。
大きな病院を紹介してもらい、11月1日に検査のため入院。
最初は内科へ入院。
検査を経て外科へ移る。
11月12日頃、母が余命宣告を受ける。
「年を越せるか越せないか」

11月14日頃より点滴による治療を本人が拒否。
放射線治療をすすめられるが、拒否。
本人の拒否が強く、医者も看護士も何故拒否をするのか不明。
これ以上治療を拒否するのであれば病院を出て行ってほしいとのこと。
母が本人も希望していることだし、家に連れて帰ります。と勝手に決める。

11月18日退院前日、病院のソーシャルワーカーと話し合う。
それまでなんどか母とは話していたらしいのだが、母の言ってる事がよくわからず、「とりあえず連れて帰る」「連れて帰ればなんとかなる」の一点張り。
しかたないので、私も一緒に話を聞く。
私が話を聞くとすべて「お姉ちゃんにまかせるわ」と自分で考えることを拒否するので、今まで聞かないようにしてたのに・・・。
案の定というか。末期がんの人を在宅で看るということがわかってなかったし。
一通りソーシャルワーカーが母に説明をした後、母抜きでショーシャルワーカーと話し合う。
とにかく退院が次の日ということで何事も急いでやらなければいけない。ぐずぐずしてるヒマはありません。
介護手帳のかわりのものを役所に取りに行き、末期であること。余命、状態をつげ、一刻も早く認定員に来て欲しいことを告げる。病院からのれんらくもあり、最優先でやってくれるとのこと。
イソイソと病院へもどり、紹介されたケアマネと話し合う。
父は多少の精神症状がでているものの、トイレなどはちゃんとトイレに行ってしたいなど在宅に戻した時に介護の重点となる部分を話し合う。
訪問診療、訪問看護についてもこの時点できまっており、大病院のすごさを感じました。
普通ムリ・・・(苦笑)

母の希望としては、在宅で看ながら、ホスピスが空くのを待ち、最期はホスピスで・・・という考え。
ホスピスに入る条件として、本人に余命を告げるということがあるのですが、家族から告げられるより、担当の先生から告げてもらったほうがいいだろうということで、退院の前日に告げてもらう。


11月19日退院
朝から大掃除(笑)
介護ベットを昼に入れて貰うので、一番介護のしやすいリビングを大掃除。
2時ごろ退院して帰宅。
車から家に入るまでが大騒動。
とにかく植木が邪魔で、地面がぬかるんでるから車椅子が動かない(笑)
縁側に車椅子をつけ、家にあがるのですが、段差が大きくて、尚且つ痛みが激しいため
通常の移乗の方法が使えない・・・
おなかにすごい沢山腹水が溜まっていて、脊椎が痛いため自力で立つことが困難。
少しずつ支えながら弟と二人ががりで家の中へ。
でも、そこから動けない。
少しでも動かそうとすると痛いからと拒否。
そんなところに救いの天使・訪問看護士登場!!
毛布に3人がかりで乗せ、引っ張ってベット下まで。
あとは手すりを使いながらなんとかベッド上へ。

看護士さんと話していると、市役所の認定員が来る。
3人で今後のことについて話し合う。
認定員の方もいい方で、状態や看護士の話で要介護5を申請しますと言ってくれました。
「最低でも4は欲しかったので助かります。」と素直にお礼を言いました。

その後、ケアマネさんが来て、細かいことの打ち合わせ。
在宅でのターミナルになるので、それこそベットのクッションの硬さに至るまで細かく話し合う。

夕方、用具の方がまた来てくれて、状態を確認。
痛みで横になることができないので、その状態で少しでも楽になれるように話し合う。
ケアマネから連絡がいっていたため、何点か用具を持参してくれていたため、その場で交換。

夜、訪問診療の先生が来る。
かかりつけの先生がそのまま訪問をやってくれた為、色々スムーズ。
今後の治療についての話をする。
なるべくなら本人の意識を保った状態で遣り残したことをさせてあげたかったんだけど、痛みに苦しむ姿を見ていると、緩和ケアを優先にしてあげたい気もするし。
結局どっちが良かったのかは結論でないままでしたけど。
先生から緩和ケアに必要なお薬の説明を聞く。
 ・オプソ
 ・レンドルミン
 ・ボルタレンサポ(座薬)
 ・リスパダール
 ・ワコビタール(座薬)
下2個は向精神薬、オプソはモルヒネです。それ以外にモルヒネのパッチも使用。
モルヒネの量を多くしていき、あとは神経をブロックするための向精神薬を使用。
少しでも眠れるように、と、痛みが激しい時は向精神薬を使用するしかもう手はないそうです。
父はこの先生が大好きで。女医さん。しかも美人(笑)
先生から痛み止めだからとすすめられて飲んだ「リスパダール」が効いたのか、すごく上機嫌で、
いきなり「幸せだー」と大声で叫び、先生が何が幸せなの?と聞くと、「お母さんと一緒になれて幸せ」と答えたのは忘れられません。

先生が帰ったあと、私も帰宅。
その後、ビールが飲みたいという父。ビールを飲んだそうです。


11月20日
私は朝一でホームセンターで取り急ぎ必要なものを購入。
100円ショップで清拭のボトル(介護用品のより使いやすいいいものがあるんですよ~)などを選んでいると母より電話。
急いで実家へ。
私が着いた時には救急隊が心配蘇生をおこなっている状態。
心電図フラット。
一緒に病院へ行き、そこで死亡の確認。
末期がんで死ぬ時は、おだやかに死ぬ
と聞いてはいましたが、本当に死に顔はおだやかでした。


その後、お葬式やらなんやら、めちゃくちゃ大変でしたが・・・
最近流行ってるエンディングノート、必要ですよ~。
だって、誰に連絡すればいいのかわかんないんだもん。
父の携帯のメモリー片っ端から連絡するしかないのか・・・と途方にくれたり。
たまたま会社関係の連絡を受け持ってくれるひと、友人関係を受け持ってくれるひとなど手伝ってくれる方がすぐに見つかったからよかったけどね~。
亡くなった後悲しみにくれる間もなく、お葬式の準備で途方に暮れる(笑)
今では笑い話だけど、もう、ほんと、大変でした~(笑)

2011.02.10 
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